
この半年、私がかなりの自由時間を費やした映画を通じて考えたことを書きます。
「地方を照らし、世界を射抜く」
九州は鹿児島で、すべて地元の役者さん、オール鹿児島ロケのインディーズ映画『エイタロウ』(2025年)のテーマです。
https://sites.google.com/view/eitaro2024
「人は生まれる場所と時代を選べない、運命のような何かの力が働いていて、それには意味がある」という意味の台詞があります。
この映画をみる何年も前、私はふとしたきっかけで、いすみに行くようになり、知り合いも増えて、いま、この同じ時代、いすみで生きる人たちを身近に感じるようになっていました。
そして、いすみに限らず、中央の政治経済の外側で起きていること、これから起きることには、誰かの意思を超えた「何かの力」が隠されいて、時代を超えて普遍的な共感を呼ぶことになるだろう、と。映画『エイタロウ』はそれを教えてくれました。
「この星のどこかで、懸命に表現を続ける人々に捧げる」という序文に始まり、地方の無名役者の現実と葛藤、ラストの(ほとんどカットされていない)迫真の劇中劇。小劇場の舞台が好きな私にとっては、何度見ても鳥肌が立ちます。
主人公が演じる西郷隆盛が、劇中で「この先、おいどんたち(日本人)の魂はどんな困難にも、気高くあらがう。」と拳を握る場面があります。半年前、初見のときは、乗り越えてきた過去の厄災を想起しましたが、これを書いている2026年5月には、行進する軍靴の幻が近づいてくるような世の中の流れに、150年前の最後のサムライたちの姿が肉薄する思いがしました。
回を重ねるごとに「地方に生きて暮らすということ」「たとえ、無様であってもそうせずにはいられない生きざま」に心を打たれます。
映画監督のジェームズ・キャメロンが「映画館へ行って映画を観るということは、画面のサイズや音響システムの精度というより“マルチタスクをしないための決断”なんだよ。自分自身と芸術作品との間で”全神経をスクリーンに集中させる”という契約を結ぶんだ。」と語ったそうです。(SNSでみかけたポストで知りました。)https://x.com/hitasuraeiga/status/1899394793530089587?s=46&t=yDKmxx8ES3F-eRh99-3png
なるほど、だから私は、映画館に行くのが億劫なのだと思いました。
文字情報は、読む速さも内容も、受け手が選べます。映像をみている間は、五感のうち視覚と聴覚がとらわれ、受け身にならざるを得ません。(ラジオはその点、視覚が自由なので、少し違います。)テレビでも、配信でもなく、映画を映画館で見るときには、なおさら「契約」することを選ばなければなりません。
映像の仕事をしている人が「映画館に年に一度行くかどうかの人の周りは、そういう人ばかりで、月に何度も行く人の周りはそういう人が集まっている」と言っていました。前者だった私を変えたのは何だったのか?まだ、よくわかりません。
少なくとも、映画をみたあとの何日か、断片的な映像や台詞が繰り返しよみがえる、心の深いところにささって抜けないような「表現」が『エイタロウ』にはありました。
目を見張るような演技で魅了する役者さんが大勢出てきます。演劇という非日常が、ひとが人間らしく生きるために必要だと知っている人たちです。日本中にそういう人たちがいます。
お金を出してテーマパークに行けば、用意された非日常がそこにあるでしょう。冴えない毎日を彩る体験を求めることも、容易になっています。終わりなき日常の痛みの本質も、かつてとは変わっていて、柳田國男が書いた『バルサム』(鎮痛剤としての非日常)の意味は遠いものになっています。
(「清光館哀史一〜六 https://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/54403_54217.html)
おそらく、ひと昔前には、集落ごとに神楽や能舞台がありました。
人の負の感情や、罪と罰は、そこで上演され、物語として語られることで昇華され、それが現実を守ることにつながる、表現を通して魂を救済するしくみが、その役割を果たしていました。
抗えない運命に傷ついた痛みを許すための癒しが、祭りうたに込められていました。
表現は、それを受け取る側の観客がいて、完成します。あるとき、小劇場が好きなのはなぜ?と聞かれて「生舞台には、やる側と見る側のエネルギーの交換があるから」と答えていました。
鹿児島の演劇シーンを照らした映画『エイタロウ』は、表現を心の糧として生きる人たちに届き、救済としての非日常を必要とする観客に出会うことで、世界を射抜く力を持っています。場所と時代を選ばずに伝わっていく、映画のちからと、未来につながる希望がそこにはありました。
文化とは、表現する人、受け取る人、それが実現する場所があって、はじめて成り立ちます。
シネコン以外の独立系の映画館に行ったことはありますか?そこでは、配給会社を経由しない自主映画の編成を見ることができます。
小さな劇場で、表現せずにはいられない役者が演じる舞台。
小さな映画館の志で編成された、生まれるべくして生みだされた自主映画をみる体験。
いすみには、特徴的な経済圏と、人とひとがつながる関係性があるように思います。
小さな図書館
(星空の小さな図書館
https://hoshizora-library.starlet.link)
DIYのマーケットと小商い
(『小商いで自由に暮らす』
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それが無理のないかたちで根付いている、外房いすみという地域で、本来の役目を担う非日常の体験は、実はすぐ近くにあるのではないかと、密かに期待しています。